優越感が強い人の特徴。常に上から目線でデリカシーがない

最終更新日:2016年6月11日

どんな職場あるいは会社にも、おそらく一人くらいは見当たるのではないでしょうか?

なぜか上から目線で話す人、相談と言いながら自分の考えを押し付けてくる人、自分以外の人を知って勉強したいと言いながらいざ話し始めると人を否定してくる人。

そんな勘違いした優越感を持った人に見られる特徴をご紹介します。

1.理屈っぽい

優越感の強い人は、考え方が理屈っぽいです。

脳でいえば、感性をつかさどる右脳の部分が欠落しているのでは、、、と勘違いしたくなるほど左脳フル回転の言動が目立ちます。

人と会話をするときには、必ず現象を明確にして理由や原因を推測したり(決めつけたり)して、論理と理屈でねじ伏せようとしてきます。

こんな人と会話してもすぐ疲れちゃいますよね。

こういう人は、物事を論理と理屈で表現できている自分が優れていると思っているのです。


2.自分のことを棚に上げるのが得意

人の文句を言うわりに、その言っている文句の内容がその人そのままを表していることが少なくありません。

この瞬間、自分のことを棚に上げているのです。

「あの人ももっとこうしてくれえばいいのに」というような発言があって「それあんただよ」と突っ込みたくなることが多い人は、周りの人が見えていないことに気が付いている、という優越感を持っている人かもしれません。

言い換えると、自分のことが良く見えていないのに、周りのことが良く見えている気になっているような人は、どことなく優越感が強いと思われる言動をとってしまうものです。


3.いつでも自分が正しいと思っている

優越感の強い人は、大事なところではいつも自分が正しいと思っています。

成功し良い結果が得られたら「自分のおかげ」
失敗したら「自分は気が付いていたけど上司の○○が分かってくれなかったからダメだった」
職場がうまく回っていれば「自分がいてうまく立ち振る舞ってるからだ」
職場がうまく回ってなかったとしても「今この状態で済んでいるのは自分が頑張っているからだ」
という発言をよく耳にします。

ちょっと仕事の相談と言って「どう思う?」と話しかけてきた時も、人の話を聞いているふりをして、結局は「オレはこう思うんだよな」って押し付けてくるか、人が考えを言おうものなら「それは違うんじゃない?」と人を否定してきたります。

相談されたときの正解は「あまり気にしてなかったですけどどう思うんですか?」「確かにそうですね」ととりあえず賛同しておくのが良いでしょう。

下手に反論すると、先ほども述べたように理屈に理屈を重ねてねじ伏せにかかってくるので、疲れて面倒になってしまいます。

しかも、相手はそれによって「議論ができた」と満足します。

こんな疲れる会話はやめましょう。


4.デリカシーがない

人の感情に土足で入り込んでくるような感覚になってしまう人がいたら、その人は「人の懐に入り込むのが得意」という優越感が強い人かもしれません。

優越感の強い人は、人とのコミュニケーションをとることで、その優越感をより強めていく傾向があります。

そして、間違った自信からそのコミュニケーションのとりかたはエスカレートしていき、相手にとって不快に思うことをしている自分に気が付かなくなります。

そして、本当は自分が気持ちよく話して優越感を強めただけの会話にもかかわらず、相手の人と良いコミュニケーションが取れ、自分に心を開いてもらったと勘違いし、さらに優越感を高めていくスパイラルが出来上がるのです。


5.ビジネス本ばかり読んでいる

物事を理屈や理由をつけてロジカルに理解していくことしかできない人は、自己啓発なのか自己肯定なのか、ビジネス本を多く読んでいることがあります。

世の中の成功者の体験や考え方を知って、自分もそういう考え方だといつしか勘違いしてしまいます。

その結果、周囲の人が自分より劣る考えである、自分より無知であると思い始め、いつしか会話がすべて上から目線になってしまいます。

ビジネス本を否定しているわけではありません。

情報を得るチャネルが偏っていることを理解し、勘違いした優越感はやめてほしいですよね。


6.自己中な努力家

何かしら努力した結果として得たものが優越感の根拠としてあることも忘れてはいけません。

結構勉強家だったりして、知識も豊富だったりします。

努力する姿勢とそのエネルギーは見習わなければいけませんね。

優越感が強い人のことを理解しよう

優越感の強い人は相手を不快にします。

しかしながら、優越感を持つ根拠も少なからずあります。

積極的に接する必要はありませんが、相手の良いところや努力している部分は認めつつ、自分がそうはならないようにと反面教師にしたり、あるいは会話のネタにするために観察するくらいの客観的目線でいると、その人が小さく思えて一つの楽しみに変えられるでしょう。