「愛の反対は嫌いでは無く無関心」という言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。
では、どうして嫌いでは無く無関心なのでしょうか。
ここでは、愛の反対は無関心と言われる理由について紹介します。
無関心という事はそこに愛が全くない証拠だから
無関心という事は、そこに愛が全く無いという証拠です。
嫌いという感情には、実は色々なものが含まれています。
もちろん、そこに愛が含まれている場合もあります。
ですが、無関心には愛は一切ありません。
そこにあるのは好きでも嫌いでも愛でもありません。
なので、愛の反対は無関心だと言われているのです。
嫌いという場合、その対象に関心があるのでそこから何らかのきっかけがあって好きになる事があります。
嫌いだったけど勘違いだった、最初は嫌いだったけど徐々に好きになっていった等嫌いから好き、愛情に変わる事は多いです。
恋愛でも第一印象最悪でむしろ嫌いに近かったけど、そこから好きになって今ではその人を世界で一番愛しているほど好きになったという事はよくある事です。
ですが、無関心の場合、対象の事を考える事が一切ないので愛する可能性が全く無い状態と言っても過言ではありません。
嫌いから好きになるのは実は簡単ですが、無関心から好きにさせるのはかなり難しいです。
ですので、愛の反対は無関心だと言われるのです。
そこに何の感情もないから
無関心という事は、様々な事に対する感情がないという事です。
関心の無い話題を聞いた場合、その人の中でそこで話が終わっており、その後その事について考える事は一切ありません。
考える事が一切無いという事は、そこに何の感情も無いという事です。
恋愛の場合でも、嫌いでも何でも無く全く恋愛の対象外に入っていない状態から自分に振り向いてもらうのが一番大変です。
いくら自分がその人の事を好きでたまらなくても、相手が自分に対して無関心なら両思いになる可能性は極めて低いです。
相手に何の感情もない状態から両思いになるのはとても大変です。
これは、恋愛以外でも仕事や新しく友達を作りたいという場合でも同じ事が言えます。
3.愛と嫌いは実は似ています。でも無関心は全く違うから
愛と嫌いという感情は実は似ているのです。
両方似ているからこそ少しのきっかけで愛が嫌いになったり、逆に嫌いが愛になったりする事もあります。
嫌いと愛は反対なのでは?と思う人は多いです。
確かに、愛と嫌いは正反対の部分があります。
ですが、愛も嫌いもその人、もしくは対象のものの事をよく考えているという部分はよく似ています。
自分の中でいったん受け止めて、そこから愛している、もしくは嫌いと判断します。
自分の中でいったん受け入れているからこそ愛が嫌いに、嫌いが愛になったりします。
ですが、無関心は自分の中でいったん受け入れる事すらしていません。
一瞬で忘れ去ってしまいます。
なので、愛の反対は無関心だと言われているのです。
嫌いという感情は、嫌いだからこそその人、もしくは対象のものの事をずっと考えてしまう時があります。
ずっと考えてしまうという事は実はむしろある種の愛だと考えている人もいます。
無関心だとそういう事は一切ありません。
ですので、愛の反対は無関心です。
愛は自分と関わっている事、無関心は自分と何も関わっていない事だから
愛とは、その対象の事を常に考え、その幸せを願う事です。
愛している人が幸せになる事で自分も幸せになります。
嫌いという事は、相手に関わりたくないと思っている事です。
両方共感情的には正反対ですが、自分と関わっているという事は共通しています。
ですが、無関心は自分と何も関わっていません。
無関心なので関わっていない事にすら気が付いていません。
今、愛する事ができない、つい無関心になってしまうという人が増えています。
もちろん、この世界の全てのものに愛情を注ぐ事はできません。
ですが、自分と関わっている事なら愛する事ができます。
そして愛の多い人生はとても美しく、そして素晴らしいです。
近年、何も愛する事ができずに味気ない人生を歩んでいるという人が増えており、悩んでいる人も増えています。
愛したいと悩んでいる人は、まず身近なものから愛してみましょう。
一度愛する事を覚えたら、徐々に愛せるものが増えていきます。
そして、多くのものを愛せるようになった時、きっと今までとは違い豊かで楽しい人生が待っているでしょう。
愛の反対は無関心
愛の反対は無関心と言われる理由についてご紹介しました。
「愛の反対は嫌いじゃないの?」と思っている人が多いですが、実は違うのです。
愛と嫌いは自分の生活とか変わっているという事で実はよく似ている部分があります。
ですが、無関心は自分の生活と全く関わっていません。
全く関わっていないという事は、愛する以前の問題という事です。
今、愛の少ない人生に悩んでいるという人が増えています。
この場合、身近なものを少しずつ愛するようにしましょう。
そうする事でいつの間にか愛の多い人生を歩めるようになるでしょう。
「愛の反対は無関心である理由。愛の反対は嫌いではない」への感想コメント一覧
無関心に愛が無いのはともかく、愛の反対が無関心は無理な考えですね。
何の感情もないなら「恐怖」や「不思議」といった感情もありません。
「無関心」の反対は「関心」で「愛」の反対は「憎悪」なんですよ。