どんな困難に突き当たろうとも軽々と越えていくタフな人たちを目の当たりにすると、なんて輝いているのだろうと、眩しく思えるものです。
そんな輝くひとたちも、悩みに暮れた日々もあって、その大きな山を一つ登ったということなのかもしれません。
ではいったい、生き生き輝くタフな人たちはどんなことを支点にしてこうした山を越えているのでしょうか。
人のせいにしない
全く違う性質の人と出会い、受け入れることが困難な事態に出会うことは何より大きな試練となるものです。
勿論、どんな人でも誰一人として同じ性質の人はいません。
けれども、似た性質、波長の人とであれば、共感共鳴も感じられ喜びも簡単にわかち合えるものです。
しかし全く性質、波長が違っているひととも関わらなければならない状況がどういうわけか訪れるのが人生です。
そんな時、自分自身のやり方や意見が全く通用せず、または生きてきた道自体、積み上げてきたものさえ、覆されることもあります。
そんな時に大きな山を乗り越えた輝くタフな人なら、ネガティブにとらえず、何かをそのひとのせいにしたりはしないのです。
自分自身の新しい視点を見つけさせてくれた事実に着目し学びを得て、成長の新たな一歩に向かいます。
感情を素直に出す
泣きたい時は思いきり泣き、笑いたい時はお腹を抱えて笑いましょう。
怒るときには、ひねくれずストレートにスマートに。
素直に感情を表すことを、タフな人たちは自然にしています。
喜怒哀楽、この4つの感情は実のところ、1つに繋がっています。
それを知ることがタフになることへのひとつの架け橋かもしれません。
喜び
これは自分自身の存在が生き生き輝く時に湧いてきます。
怒り
これは自分自身の存在を打ち消されるほどの大きな衝撃から来る自己否定による深い悲しみから身を守ろうとする衝動です。
哀しみ
これは自分自身を失ってしまうほどの消失感から湧いてくるものです。
楽
これは自分自身がのびのびと生きられることへの安らぎから湧いてきます。
4つの感情は共に自分自身を守るもの、また、表出するものと言えます。
だからこそ、素直に表すことが、自分を活性化させ、タフに生き生き輝くもとになるのですね。
ただし、怒りの感情だけは、扱いに注意が必要です。
自分の存在を守るためのものなのに、闘いになっては矛盾してしまいます。
これには、日頃から自分のコンプレックスと向き合っておくこと、そして言葉を留意するくせをつけておくことが鍵になってくるでしょう。
守る感情を有効に使えることもタフに生きるには必要ですね。
身体を休める、動かす
心身は繋がっています。
ですから、タフに生きる人は上手な身体の使いかたも自然と身につけています。
心身が疲れているときは、ゆっくり休養をとります。
海塩を入れたお風呂に入ったり、思い切って露天風呂に入りに行ったりもよいでしょう。
快適な睡眠をとって充分に充電できたら、自然とやる気が湧いてくるものです。
また心が落ち着いているときには、ストレッチなどで身体をほぐしリラックスできる音楽やアロマオイルと共にじっくり心身と向き合ってみるのも、次なる展開に備える準備が整います。
心身が元気なときには、思いっきり外に出て太陽の光を堪能しましょう。
自然の中を散歩するのもよいし、大好きなスポーツに汗を流すのもよいでしょう。
心身を見つめて味方にする、これも人生をタフに生きるためには大切なポイントですね。
水にながす
人生のものごとは、訪れて、やがて去っていきます。
どんなことも一旦経験し味わって、答えを得たら、感謝して水に流す。
こんな流れを自然にできたら、もう達人ですね。
ノスタルジーはアートに昇華して次々に流れを越えていくのが、タフに生き、輝くポイントです。
そして、訪れるコト全てが学びに繋がってくれることを理解し、感謝することがなによりのことかもしれません。
感謝する
自分自身の軸をしっかりと持ち、揺るがされずに沢山の山を越えるうちに、必ず気づくことがあります。
それは自分はひとりではないということ。
越えるべき山自体も有難い学びなのですが何より、助けの手を差し伸べてくれる人がいることがわかるとき、支えてくれていた人がいたと気づくとき、なんともいえない感謝の想いが湧き上がってきます。
そして、自分自身を信じてあげられた時。
そうなのです、この世は沢山の愛と感謝でできている。
そう気づいた時、世界は眩いほど輝き始めます。
それは自身が輝き始めたからに違いないのです。
タフな人間になろう
タフな人には憧れを持ちますよね。
自分でもそうしたタフな人間になっていきましょう。
「タフな人の特徴とは?何事にもくじけない人は何が違うのか」への感想コメント一覧
とても参考になりました。
自分はよく逆境でよく心が折られてしまうのですがこの記事を読んでもっと強く、タフに生きてみようと思いました。
素敵な記事、ありがとうございました。